大学全入時代、AI時代の今の学習の意味か。
松谷です。
今は大学全入時代だし、AI時代です。
そういった今の時代において、学習の意味っていうのは改めて考える意味がありますよね。
まずいまは、大学全入時代だから、生徒は特に希望しなければどこかの大学には入れます。
そして、少子化の加速を鑑みると、20年後くらいにはほとんどの大学から競争が消えていくことが見込まれます。
競争がかなり緩和していく時代において、特に緩和された側に入る8割くらいの受験生において大学受験だけを念頭に置く学習はあまり意味をなさなくなっていくわけですよね。
だから、もう少し違う観点で学習をしていくことが求められるということかなと。
でも、本来学習って自然にするものなんだと思うんですよね。
生きていたらいろいろと知りたいのが当たり前で、それを知ることが自然な喜びかなって。
何か新しいことができるようになることが楽しくて。
今はA Iがなんでも知ってるので、学習しなくていいと思う人も出てくるような気もしますが、AIが質問してなんでも答えられるようになったからとっていって、
その学びの楽しさとか知りたいとかいう根源的な欲求は残るような気はします。
また、AIに質問したことの返答に対して正しさをある程度判断したりとか、AIを使えるようになるためにも、ある程度の判断力を人が備えている方が良いと思うんですね。
そういうときに、数学的考え方がとても役に立つような気がするんですよね。
ちなみに、AIに頼り切りの人間は、AIが答えられなかったらもう何も考えられなくなってしまうような気がするんですよね。パニックになってしまって。
そのときに考えるための枠組みを持っておくというか。そういうのは必要だなって。
AIは便利ですから使いますよ。問題作るにしたって、答えを確認するにしたって、英語の添削するにしたっておおいに使えばいいと思っています。いやすでに、高校生にしても大学生にしてもめちゃくちゃ使っているようです。ビジネスの場でもそうだと思います。
「チャッピー」という愛称で慣れ親しんでいる人も多いでしょう(?!)
でも、その使うバランスに関しては、考える余地は結構ありますよね。
実際には、やっているうちに各自が自然とバランスをとっていくんだとは思いますが。
ふ~、たらたらと独り言をつぶやいてしまいました。よく見たら長すぎたので半分くらいカットしましたが。。。
いやなんでこんなことを少し書いたかというと、生徒からの質問に関連するんですよね。
なんとなく生徒から質問された内容に一瞬で答えらえなくて、少し考えてから返答したんですね。こんな問題です。
で、そういえばAIに聞いたらどうなるのかなと思って質問してみたんですね。
そうしたら、あらっ僕が使っているAIではすぐ答えられなかったので、もし、そういうことがAIユーザーに起こったら混乱するなと思ってね。もう諦めるしかないみたいなね。
各自が、自分の何か仕事で関わる分野においては、AIが言っていることを判断できるくらいにはならないといけないんだろうなあって思って。
また、外国人との会話のときに、ほとんど同時に通訳してくれるような機器が安価に使えるようになりそうらしく、そのようなときに、英語学習の意味はあるんですか?と聞かれたときに少し困りましてね。
今の機器のレベルだとリアルタイムのやりとりにおいて、かなり厳しいので、友人として、もしくはビジネスシーンで、生で人とコミュニケーションとるにしては厳しいと思いますが、それが解消された場合に残るのは何かなって。
単純に学習てきた積み重ねが会話や文で通じあった喜び、学習してきた内容で何か文章内容を理解できた喜びって、翻訳機器で伝わったり読み取ったりしたのとはまた全然違うような気がするなって。
もちろんAIが瞬間的に出力した入試に対する答案がすでの東大理三の合格点を超えた(医師国家試験や、司法試験の論述とかも含めて)というのは大きなニュースではあるのでいろいろと考えるタイミングには来ているんだと思います。
まあ、結論があるわけではありませんが、なんとなく頭にちょっとだけよぎったことをつらつらと日記のように書きました笑
まあブログは僕の日記みたいなもんでもあるのでね笑