政治家から人気の政治家と国民から人気の政治家。先生から人気の先生と生徒から人気の先生。

松谷です。

まあ僕は政治を論評するほどの見識や思いを持ち合わせているわけではありません。

 

しかし、なんとなく自民党の総裁選は気になります。

 

なんとなくこの人だったらいいなという人がいはしますが、それは誰でもいると思います。

そんななかで、なんなとく国民から人気の政治家が形成されていきます。

で、できたらこの人じゃない方がいいんじゃないかという人もいます。

でも、そういう人が政治家の内部から人気だったりすることもあるようです。

 

つまり、国民から人気の政治家と政治家から人気の政治家が大いにずれることがあるようです。

 

一般にいうと、政治家というと、はっきりいってものすごい日本のことを考えるマインドをもっていて、僕らとは比べものにならないくらい政治経済周辺に必要な知識について博識であり、それを実行に移す体力に秀でた人というイメージはあります。

つまり、尊敬に値する素晴らしい人たちだと思うんですね。実際に、一部の議員さんについてはSNSやTV上で1時間とか見ただけでも、本当にこの人はすごいんだろうなと思うことが結構あるので。

そんな見識豊かな国民の代表たる素晴らしい人たちがこぞって推すような政治家っていうことはやっぱり何か突出してすばらしい何かを持っているということなんでしょうかね?

それは一般国民には分からないようなものなんでしょうかね。内側の人しかわからないような。

一般国民に周知されない素晴らしさというのはどういうことなのか、そもそもそれでいいのかというのはちょっと気にはなります。でもなにか隠れたものがある可能性は十分あるとは思います。

 

しかし、もう一方で、政治家が政治のための政治をやっているというか、自分たちのことしか考えていないんじゃないかというようにも受け取れるわけですね。

もし、本当にそんな内向き志向でそのような人気が形成されているとしたら、もう党自体が終焉してしまうなあとも思うわけですね。

そうではないと願いつつ、実際はどうなのか。

 

なんとなく気になる今日この頃です。

政治に少し興味が出てきているのは、僕が年をとった証拠ですね。

 

また、この構図って、

先生から人気の先生と生徒から人気の先生と似たような構図な気もします。

これもどっちの先生が本当にいいのかっていうはありますよね。

先生から人気の先生というのは、おそらくクラスの統率力指導力があって、担任団などでの共通業務などでリーダーシップをとったり、先生同士のなかでも頼りになったり受け止めてくれたりといったそういう先生でしょうか。

一方で生徒に人気の先生というはそんなに単純ではないかもしれませんが、なんとなく面白くて、優しい先生でしょうかね。

でも、生徒から人気だけど、成績が上げるような指導力がないとか、クラスの雰囲気が締まらなくて舐められていて学級崩壊気味とか、そういうことはありえるかなと思います。

生徒に嫌われるくらい厳しい先生の方が、本当は生徒のことを考えていて最終的にはためになる指導をしてくれているかもしれません。そういう先生の方が先生の中では人気かもしれませんね。

 

理想は、先生からも生徒からもそして保護者からも人気の先生なんでしょうね。

政治家も、できれば政治家からも国民からも人気の政治家がいいんでしょうね。国民からの人気だけ考えすぎるとポピュリズムの行き過ぎになってしまうのも確かでしょうから。

 

 

 

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