能力低いと思ったら人より早く起きるんだよ。当たり前だよそんなことは。
松谷です。
人の能力はトータルである程度バランスされているとは思います。
その人の人生の中でかけた時間が違いますからね。
例えばテニスに多く費やした人はテニスの能力が高まっていますし、
勉強に多くの時間を費やした人は勉強の能力が高まっていますし、
寝るのに多くの時間を費やした人は寝る能力(?)が高まっていると思います。
まあもちろん元から持っている遺伝子的特性も加味されつつトータルでバランスされているかなと。
さて、で、まあある分野で活躍したい活躍しなければならないと思うとするじゃないですか。
そうした場合に、結構自分がその分野の能力が高まっていることに気づいたらラッキーです。そのままがんがん高めていったらいいです。
しかしながら、活躍したい分野での現時点の自分の能力が低いと思ったらどうするか。
もちろん分野を変えるというのもとても大きな決断だと思いますし、すごくいい決断と思います。実際の世界ではこれが一番いい決断の場合が多いです。みなさん無意識にこの行動をとっているかなと。水泳を習ってみたがしんどいし面白くないからやめて、絵を習ってみた、楽しい、頑張る。みたいな。
でもその分野で活躍したいなという思いが強くあるならば、それは人より努力するしかないわけですね。
そんな人に対してかどうかわかりませんが、ある予備校の数学講師の人のセリフが頭に思い浮かびます。
「教員としての僕の経験だけど、できない子ほど遅く来るよね。
能力低いと思ったら人より早く起きるんだよ。
当たり前なんだよそんなことは。
そうしないと人並みじゃないんだから。
自分で劣等感もってたら、そのぶん人より早く起きる、人よりいっぱい行動する、人より働く。
当たり前なのそんなことは。それで人並みなんだから。」
(5分くらいからがそのセリフ)https://www.youtube.com/watch?v=nawL8susiBM
いやあかっこいいですね。
これが言い切れるのが人間として。
よっぽどこの方が努力されてきたんじゃないかと思います。そうじゃないと言えないセリフなので。
前半の生徒に対する口調が今の時代で許容されるものなのかどうかは別問題として。
なんとなくこういう考え方に僕が惹かれるということは、自分の中にこういう思想の断片があるのかなと思います。
これ自体も割と偏った思想でもあるとは思いますが、なんとなく人生の中でそういう影響を受けてきたのかもしれません。もしくは経験のなかでそのように感じ取ってきたのか。そう思いこむことで自分をバランスさせていたのか。それはわかりませんが。
でももうひとつ経験上、ひとつのやり方を絶対正しいと信じてその方向のでの努力を押し付けるのは違うというのは知っているつもりです。
昔個別指導塾の塾長時代に100人くらいの生徒に対して、講師経由で僕が絶対と信じていたある方法の英単語の覚え方をやってもらったんですね。なんとできたのはたった80人くらいでした。本当にショックでした。このやり方なら「どんな人でも必ずできるようになる!」と信じていたからですね。
確かにその個別指導塾はオール1の子もいっぱいいましたし、オールの5の子もいて学力の幅は広かったのですが、僕の理論的には誰でも必ずできるようになると思っていたからですね。まあ現実を知りましたね。
でも、努力を通して自分の中の新しい状態になれるのは確かだと思います。また、あるやり方がだめなときに、また別のやり方でトライしてみる、それがだめならまた別のやり方で試してみることもとても大事なことだと思います。これも一つの努力の方向性だと思いますので。