1日1日を楽しく実りあるものとして生きるべし!
松谷です。
「1日1日を楽しく実りあるものとして生きるべし!」
別に宗教じみたことをいうつもりはないんですね(笑)
昨日たまたま塾が始まる前に祖母の病院にお見舞いに行って苦しそうに息をしているなあ。安らかにできるといいんだけど、と思っていたら、昨日の授業後に亡くなったことを聞いたんですね。
年齢も年齢だっただけに、死ぬ直前に祖母の顔や手に触れられたこと、抱きしめられたことに対して、運が良かったなと思ったのが正直なところです。
死ってあんまり感じられないんですよね。どちらかというと社会が触れないように封印しているともいえるかもしれません。でも、たまたまそこに触れたならば、それを生きる活力にしたいなと思うわけですね。
最近読んだ文にそんな一節があったような気がしますね。
2文抜粋すると、
Our own era simply denies death and with it one fundamental aspect of life. Instead of allowing the awareness of death and suffering to become one of the strongest incentives for life, the basis for human solidarity, and an experience without which joy and enthusiasm lack intensity and depth, the individual is forced to repress it.
「私たち自身の時代は、死を、そして死とともに生の一つの基本的な側面を、単に否定している。死と苦しみを意識することが生の最も強い動機の一つとなり、人間の結束の基盤となり、それがなければ喜びや熱狂が激しさや深さを欠いてしまうような経験となりうるのに、その代わりに、個人はそれ(死と苦しみの意識)を抑えさせられている。」
こんな感じのことが書いてありましたね。
つまり普通は社会によって気づかないように仕向けられているんですよね。でも、身内の不幸というのは、数少ないそれを感じられるチャンスなんだと思うんです。
それを機会に、「学、生のクオリティを上げなさいよ」というように祖母から言われているような気がしますね。おばあちゃん子だったのでね。
闘病生活がとても長かったので、本当にお疲れさまでした。