中高生活で「鶏口となるも牛後となるなかれ」は正しいか?牛頭は?
松谷です。
「鶏口となるも牛後となるなかれ」ということわざがあります。
「鶏口」とは「鶏のくちばし」のことで、「弱小なものの首長」のたとえとして使われています。 「牛後」とは「牛のお尻・尻尾」のことで、「強大な者に仕えて使われる者」のたとえとして使われています。
つまり、ことわざの意味は、「大きな集団の末端になるより、小さな集団であっても長(トップやリーダー)となる方が良い」ということです。
さて、これはたとえば中高の生活とか大学受験とかそういう意味でどっちがいいんでしょうかね。
つまり超進学校(牛)の下位集団と、進学校(鶏)のトップ集団どっちがいいのかってことですね。
何が牛なのか鶏なのかっていうのは見ている視点によって違うとは思います。
そこまで中学受験や高校受験に詳しいわけではありませんので、間違ってたら申し訳ないですが、
たとえば、京都や大阪の人が受験で受けがちなところで言うと、
灘とか洛南(主に女子)とか東大寺とか西大和とか北野とかが牛とかと言えるでしょうか。
洛星とか高槻とか大阪星光とかが鶏でしょうか。
西京とか洛北とか堀川とかの公立は位置づけが良くわかりませんが、鶏と同列くらいの実績でしょうか。
もしくは、東山とか京女とか立命館とかくらいまで鶏と言うように表現することもできるかもしれません。
さて、完全な牛後については、ちょっと気持ち的にはつらいとは思います。自己肯定感的にね。
牛でもできたら真ん中くらいにはいておきたいんじゃないでしょうか。
鶏口は自信をもって学生生活を過ごしてそうな感じはします。しかしながら、全体の平均感は牛よりは劣るので流れに乗って過ごすというよりは、自分自身で場合によっては多少の危機感を持ちながら意識高く過ごすという感じでしょうか。大学行ってからもしっかり過ごしがちでしょうか。
ただ、実際灘の最下位近い成績で逆転で東大現役合格する人がいたりもするので、牛後でも絶対だめというわけではないんですね。
ということで、結局はどこにいっても自分の持っているものが最終的にはちゃんと花開いてくれると思いますので、今いる環境を最大限生かしながら楽しんで学生生活を過ごして欲しいなと思います!
もしも中学受験や高校受験で第一志望がだめで第二志望に行ったとしても絶対住めば都というかきっと楽しい中学高校生活になると思うんですね!!
あっ牛頭の人はそりゃあいいですね!!突っ走っていってください!(牛頭っていうのか知らないけど)
うちの塾は割といろんな種類の人がいるから面白いですよ!鶏口も牛中も牛頭もいるかなと!