塾や個人が授業料を頂いていい境目は?

松谷です。

授業料を頂く時期になると、ふと思うんですよね。

 

塾って授業料を頂いていますよね。

世の中これだけ無料の良質な教材があふれかえっているなかで、

授業料を頂くってこれだけ大胆不敵なこともないような気がするんですよね。

 

つまり、それが授業料を頂くに値するものになっているのかっていうのは常に検討するべきことかなと。

 

うちの塾は高校数学までの算数・数学のプロということで、学習内容を提供しています。

「特に、東大京大医学部などハイレベルな受験になると、なかなか難しい内容になってくるのでそれに準じる学習内容を提供するもしくはその内容を分かっている人がいる」というだけでもある程度の価値があることだとは思っています。

でも、実際は、それは価値の一部であって、同じくらいに

「大学受験までの非常に長い道のり(しかも普通ならば未経験である道のり)を良く知っていてある程度信頼できそうなガイドという役割」と「それに必要な学習内容の定着度達成に向けて技術的にも精神的にも高めていく役割」に対して需要があって、授業料を頂いているのかなと。「僕の優しかったり?厳しかったり?するキャラクター」も含めてでしょうかね。

そしてそれをサポートする役割として、「レベルの高いチューターの先生などにいつでも質問できるような自習室」が機能していて、「そもそも合格をつかみとっていった先輩たちを生きたロールモデルとして感じられるそういう雰囲気」も非常に重要なのかなとも思います。

 

トータルすると塾のサービス自体は授業料を頂く価値を提供できているんじゃないかと本当に思っているので、サービス提供事業者をしていますね。少なくとも今は本当にそう思っています。

 

あとは、数学の問題の軽い添削とか英作などの添削とか学校の問題の質問対応とかは僕が対応できる範囲では無料でやっています。本当にただただ塾の生徒に何か追加で役に立ったらいいなとか思っているだけなんですね。あんまり何も考えていないというか。まあ塾生の人数をうちのように限っていれば処理できる量くらいですしね。

 

それを考えたときに、うちで英語受講で指導料をとっていいのかはまだ疑問なところなのかもしれません。TOEIC990と英検1級なんていうのは本当のプロレベルからしたらアマチュアもいいところなのでね。でも、僕自身が一生懸命研鑽し続けたうえで、生徒の現状からの改善の道を示してそれを達成するお手伝いができるとしたら、それは別の道でプロと言っていいのかなとも。そのときに、参考書のオタクレベルの詳しさも生きていますしね。そして、それよりなにより、お金を頂くことでより責任をもって研鑽していくという覚悟をもつというかそれも結構大事なことなのかもしれませんね。

一生無料で教えているうちは、自分自身も大して進歩しないのかなって。

 

 

 

本当はね、数学にしても英語にしても自分一人で勉強はできると思うんですよ。

 

でも、どんなに出来る人でも、悩むときとか、不安なときとか、共感が欲しいときとかがあって、そんなときに、ある程度信頼できる第三者がいつでもそばにいるよというのはいいことなんじゃないかなって。精神的にも技術的にも。ましてや苦手意識があるならなおさらかなって。

 

そんな風に思ってやっていますね!

 

ある程度信頼できる第三者であり続けるために、不断の研鑽が必要ですけどね。

 

 

まあなんだかんだ、ものの値段というのは、需要と供給のバランスのなかで勝手に決まっていくことかもしれませんけどね。。こちらの意図とかは関係なくね。。。そんなこと言ったら身もふたもないので。

 

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