未知のものに踏み出すのは勇気がいる
松谷です。
未知のものに踏み出すのって勇気がいりますよね。
昨日、京都太秦の映画村にいきました。
そこで、高いところに上っていって、最後はそこからジャンプして降りるというアトラクションがあったんですね。
それで降りるときには、命綱が腰から天井まで伸びたワイヤーにつながれていたんですが、「じゃあそこから飛び降りてください」って言われて、まったく足が出なかったんですね。
なんていうのか、落ちていき方がまったく想像できなくて、本当にどの程度安全なのかを本能的には理解できないというか。
頭では、安全に決まってると分かってるんですが、足が出ないというか。
ジャンプして棒に飛び移るときも同じような感覚を少し持ちました。
いやあ、これは未知のものへの恐怖だなと。
結局これは飛ぶしかないわけで、本当にカッコ悪いくらいしつこく、飛びおりる向きや方法をスタッフの人に確認してから飛びましたが、この感覚はなんか仕方ないのかもなあと。
そして、これって大なり小なりどんなことにも言えるのかなって。
自分の中の未知の領域に踏み込む時にはいつも手探りというか。
その手探りのなかに、不安と恐怖と興奮が同居しているような感じです。
その感情の大洪水を乗り越えてしまったら、なんか次からは割とさくってできてしまうことが多いというか。
勉強でも、未知の領域に到達するときってちょっとそんな感情ありませんかね?
いつもと違う準備をしてみる、いつもと違う勉強方法をしてみる、いつもと違う試験の受け方をしてみる、いつもと違う高い目標をもってみる、いつもと違うクラスに参加してみる、
そんなときに似たようなことを感じるかもなって。
そういうのを乗り越えると、本当に一歩成長できる感じがするんですよね。
そういうときに、インストラクターとか講師とか伴走者ができることっていうのがありそうな気はしています。
たとえば、
感情的にすごく寄り添ってみる:できますよ!大丈夫ですよ!怖くないですよ!と自信のある顔で笑顔で後押ししてあげる。
たとえば、
論理的に工程を説明する:前のひもをつかんでください。前方下側に見えるマットの上に落ちるようにその方に飛んでください。ワイヤーは上につながっていて、ひもをつかんで飛んだらすぐに腰に引っ張る力がかかりますので、足は自由になるので、足で壁をけってください。など細かく説明する。
たとえば、
より段階的な措置を提案する:いきなり10メートルのところから飛び降りるのが怖ければ2メートルくらいの命綱がなくても大丈夫な高さから飛び降りを提案しその中で手筋を確認する、それでも無理なら50cmくらいのときで感覚を得られるように提案したり。
インストラクター側としは、上のようないろいろな方法が考えられて、プレーヤー側の状況によって功を奏するアプローチがあるのかなって。
ただの遊びではありましたけど、とにかく、初心者の気持ちをちゃんと経験して、インストラクターにガイドされる経験をすることができて、なんだか良かったなと思いましたね!!
結局自分が経験しまくっている領域だけに安住したうえで、その領域で指導だけして(えらそうにして?)いるような人って、結局どこかで何かを見失うんじゃないかなって思うのでね。