「個から全体へ」or「全体から個へ」②
松谷です。
楽しかった教材づくり。
それに感じた違和感は、生徒の顔の見えなさ、実感のなさでした。
いや、ヒアリングはしているんです。データもとっているんです。
なのに、どうしても実感が得られなかったんですね。
そんな中、仕事で、学校や県企画の学習会での講演と出前授業をする機会がありました。
土浦第一高校、高崎高校といった公立進学校とあとは沖縄県での難関大志望者学習会だったでしょうか。
そこで今までにないほど生徒をかなり近く感じました。これだなと。
僕は、実は、普通教育関係の塾や企業に勤める人が通っていることがほとんどである塾講師などのアルバイトを学生時代にすっ飛ばしてしまっていたんですね。だから、ぽっかりその個に対する部分が自分の中に穴が開いていたんです。
気づいたら、部署移動の選択をしていました。その時たまたまベネッセのグループに入ったところであった東京個別指導学院が人事交流の一貫として教室長候補を募集していたんですね。
これだわと。
部署移動の希望なんてそれまで出したことなかったんですけどね。
無事部署移動がかなってから東京個別指導学院で教室長をやりました。
いや~激動の勤務でしたね。はっきりいった働きすぎたのかもしれません(笑)
楽しかったですね。とても生きているという感じでした。
教室に来てくれた、大学生の先生、社会人の先生はのべ70人くらいはいたでしょうか。教室でお預かりした生徒ものべ400人くらいはいたかもしれません。そのどのひとつひとつの経験もとてもみずみずしいものでした。
本当にその経験には感謝しています。
しかし、ここでもわずかなる違和感という願望が生まれてしまったんですね。
それは、働いてくれている大学生の先生への羨ましさから気づかされました。
主に教室長として管理業務にあたっていた自分は、生徒に直接教えることは禁止されていました。大学生の先生たちに教え方を教えたり研修したりそういったことはあっても直接生徒たちと教科指導でかかわることはできなかったんですね。面談で進路相談とか面接練習とかそういうのはしゃべりましたけれどね。
将来自分で教えられるような塾を自分でやって死にたいなあという夢ができたんですね。
そんなとき、稲荷先生からふと声をかけられたこととか、親から京都に帰ってこないかという話とかがあったりして、今に至ります。
稲荷塾での5年間は本当に最初の1年間から幸せなものでした。授業日や土曜日で生徒と直接話したり質問受けたりするのは僕としては夢みたいなものなんですね。だから、それを実現する自分の場を来年からもつというのは夢の続きなわけですね。
こんな感じで、全体から狭い方に狭い方に興味の対象が移っていったわけですね。
基本的には、対象を狭めれば狭めるほど儲けにくいんでしょうけど、まあそこはうまい塩梅を見つけるのはこちらの仕事です。
うん。でもやっぱり楽しみです。生徒や保護者さんの役に立てるといいな。