部活中心を押す学校から考える
松谷です。
部活中心を標榜する学校って結構ありますよね。
僕の母校などは部活中心を押していたかどうかはわかりませんが、
僕自身はある程度部活中心だったと思います。
でもどれくらいかと言われると、長期休み中以外は、週4くらいで2~2.5時間/日くらいで、あとはテニススクールに週2で3時間くらい行ってた程度なので、ほどほどってところなのかもしれません。(朝練とか昼練とかはやってましたけど)
で、一応、それ以外の時間は趣味のマンガを読んだり、勉強したりといった感じでした。
でもある程度の量、勉強もやっていたとも言えますから、部活中心もしくは両立といった感じですかね。勉強中心とまでは言えないかなあと言う感覚です。
でも学校の授業なども勉強カウントすると、部活の時間より長いと思いますので、勉強中心ともいえるかもしれません。
話がそれました。
部活中心の対極として勉強中心というのがあるとします。
勉強中心も僕は甲子園を目指す学校みたいな感じでいいとは思うんです。
ただ、かなり優秀めの公立の進学校が勉強にもかなり力を入れているはずなのに、部活中心を標榜する理由はなんなのか。
部活によって人間力が高められる?社会にいって活躍する??
勉強だけでは学生生活の彩りが少ない?
部活中心といいながら進学実績も出すことでバランスのいい人間を輩出できる学校をアピール?
部活をやったからこそ馬力が出る?
勉強だけでは飽きる?
とかそんな感じでしょうかね。
でも、僕は本当はこうなんじゃないかなと思うんです。
なんとなくたとえば大学受験を目標としたときの成績という単一指標での競争中心にするとかなり内部がギスギスしてしまうんじゃないかと。
その単一指標でのし上がれないとカースト的に下の方になってしまうみたいなね。
塾なら別にそれは多分許されるんだと思うんですね。
でも、多少の向き不向きもある単一指標で勝負させられたときに苦しむ人も間違いなくいますからね。
たとえば、僕が100m走のスピードだけが絶対価値を持つ高校とか、日本史の詳しさだけで生徒が序列化される高校にいったとしたら、間違いなく苦しい思いをして、おそらく不登校になると思います。
一方で、「(ある程度生徒自身が自分の好みというか向いてそうなところを選んでいる)部活というものの中で、各自が上を目指したり一生懸命活動したりしてそこでの生活が中心にありますよ」、と学校側が宣言することは全員が活躍できるというか充実できるという主張なわけですね。
おそらく公立高校とかはなおさらそういう健全性を押し出したいのかなあと思いますね。
いや僕はそれを否定しているわけではなく、いいなとは思うんです。
でも、結局進学校であれば勉強にも力を入れているわけですから、結局両立を押し出すことになって、生徒のキャパシティーの問題も出てきてしまうんだろうなとは思います。
まあいろんな学校があって、良いところもどうかなというところも絶対あると思います。ですから、最終的には自分で自分を見て適度にバランスをとることが必要なんだろうなと思います。
そして、学校が多少合わなかったりしても、自分の居場所を持てればそれでいいんだと思うんですね。その居場所の一つがうちの塾でもいいなと思いますし、もちろん家庭が一番大きな役割となりますね。
数学という単一指標で競争することになるうちの塾が安らぎになるのかは良くわかりませんが、、、。
それでも楽しく通塾できればいいなとは思っています。他者ではなく自分の向上や数学自体によりフォーカスすればギスギスしすぎることはないかなと思いますので。