塾講師は学校の先生の下位互換か?!されどやれることはある。

松谷です。

子どものころと親になったときに受ける印象が180度違う職業が学校の先生だと思います。

僕としては、子どものころ、学校の先生については、小3のときの担任の先生を除いて、正直軽んじていたと思います。

それが、親になって今思うのは、なんというすごい方たちだと。感謝しかない。大尊敬。

そんな気持ちです。

 

学校の先生、公教育は、世の中のあらゆる生徒に対応しようとしているわけですよね。

小学校なんてまさにそれを感じます。とんでもないことです。

しかも、学習指導だけのわけがなく、それは半分くらいにすぎず、生活指導、メンタル指導、あらゆるところに責任を持っている。そして、クラスの人数でいうと40人近く。

場合によっては部活動まである。面談もある。

すさまじく高いクオリティでこなしている。

 

信じがたいですね。

 

しかも、それを笑顔でこなしています。

 

 

それに比べて塾講師のなんという浅ましさ!浅はかさ!

 

こういうタイプの生徒しか教えられません!数学とちょっと英語しか教えません!

クラスも15人くらいまでしか教えません!

 

なんという限定的!なんという包容力のなさ!!!

 

塾講師の浅ましさではなく、僕の浅ましさでしたね。。

 

 

まあ、そういうことを痛感するわけです。

 

 

でも、それでもね、意味がないと思っているわけではないのですよ。これは本当に。

 

塾講師と言うのは隙間産業なんです。

 

公教育が全体の土台となる基本の学びを施しているのに対し、結局はそれぞれの生徒が学びたいこと、特性は異なっているんだと思うんですね。しかも、年齢を経るごとにどんどん異なっていくような気がします。

そして、そのそれぞれの生徒の方向性や特性に対して補完をするのが塾の役割なんだと思うんですね。

 

しかも、やや学校より1クラスあたりが少ない生徒を対象にして、その子の目指したい方向性に対して、その子の特性を理解して、伸びる手助けをする。

もちろん手助けするには、その方向性にあった塾が必要だとは思いますので、いろいろな塾が自分の塾のカラーを主張しているわけですね。

 

あるものは合格実績を強調し、あるものは目的や理念を強調し、あるものは教え方を強調し、あるものは個別性を強調しと。

 

また、単純に学校以外の居場所があって、ある程度波長が合う応援してくれる第三者がいるのも生徒にとってはいいことなのかなと思うんですね。

 

学校だけしか場所がないとしたらそれも合わない場合につらいですからね。

 

そういう風に思ってやっていますね!

 

小学校で先生と面談したときに、ありがたいなと感じながら、そんなことを思いましたね!

 

 

そういえば、このまえ「学校のテストで100点でした。めっちゃ嬉しかったですね。学校でやった模試もめっちゃできました!」と言っている高校生がいましたね。

学校のテストの点数をとらせたいと思ってやっているわけではないけれど、何か補完することができて、それが喜びにつながっているならそれはそれで嬉しいことかなと!

 

 

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