学校の先生の評価ってどうやって決まるんだろう?
松谷です。
なんとなく、ふと学校の先生の評価ってどうやって決まるんだろうという疑問がわきました。
塾講師とかは生徒の成績が上がるかどうか、もしくは生徒アンケートによる評価を元に上司が決めるのが一般的かなと思います。
塾の教室長だったら生徒数とか講習コマ数とか売り上げとか入会率、継続率とか退会率とかが指標になってエリアマネージャーとか事業部長みたいな上司に評価されるのが普通でしょうか。
個人塾塾長だったら上司に評価されるとかはないですが、基本的にはその塾に生徒がいるかどうかが市場からの評価となるわけですね。成績upや生徒満足度、保護者満足度、合格実績、それらすべてがどこかでめぐりめぐって在籍生徒数に反映されるんじゃないかなと思います。それが悪ければ事業撤退ですし、良ければ事業が存続できる。そんな感じですよね。
まあそれはわかりやすいじゃないですか。なんとなく会社とかマーケットって感じです。
でも、学校の先生ってどうなんですかね?
聞くところによると学校の先生って案外上下関係がないとかいう噂も聞きます。つまり、一人ひとりの先生が独立した存在でもあるみたいな。校長や教頭がもしかしたら多少の権利を持っているかもしれないですが、割と先生の権利も強いみたいな。
そうしたら、評価系統はどうなっているのかなと。
例えばある進学校は、もしかしたら、「京大の合格者数とかが評価軸になってそう?」(東大や国立医学部なども含むのかもしれませんが)
みたいな噂も聞きます。
でも、学校って進学指導がすべてじゃないというかそれは半分以下くらいのイメージがあります。どっちかというと普段の生活指導とか、そういったところにも力を割くものかなと思います。それが極めて大変だと思うんですが、あまり定量的なものでもない気がしていて、そうするとそういうのって評価が極めて難しいだろうなと思うんですね。
たとえば、「不登校児童を0にしますとか」「遅刻を0にします」とかそういう目標ってきわめて単純な運の影響が大きすぎて機能しないのかなと。
だから年功序列で上がっていくのがスタンダードなのかもしれませんが。
そうしたら、本当にどうしようもなく終わってるような先生もわずかにいると思うんですが、そういう人たちが居座れることになってしまうんですよね。そういう人が横にいたら意欲が減退してしまうかもしれませんね。
もしかしたら、実際多くの学校では、特定のはっきりした目標がない、もしくは「元気で明るい挨拶のできる学校!」みたいなfuzzyな目標しかないような状況なのかもしれません。それでも先生方はものすごい責任を背負って日々生徒のために研鑽し、より良いクラスを目指して運営するというとても難しいことをやってのけてるのかもしれませんね。
そう考えると、「東大京大現役合格50人が目標です」みたいな、なんだそれは、塾の目標か?学校としてはどうなの?みたいな目標の方が、実際は、単純に目標に集中して結果を出しやすいもしくは頑張りやすいという可能性もあるのかもしれませんね。
ビジネスマン的な経営指標を取りいれて成功している学校もありますしね。でも、何をもって成功というのかがまた難しいですけどね。私立だったら生徒が集まるということが成功の証なのかな。
まあ、ただ想像してみただけです!
実際は学校の内情は何も知りません。。