立場による警報への感じ方の違い
松谷です。
昨日暴風警報で数1Aの授業を休講にしたんですが、そのときにいろいろな感情を持ったんですね。
それで、ふと考えてみたら、あ~、立場によって警報への感じ方は全然違うなということを改めて感じました。
2歳児 「ぼー(僕)も、そといくー。びゅーびゅー。すごいね~」
特に何も考えてない感じですね。警報というのはただ大人が考えた大人の都合の通知システムですからね。
幼稚園児「(水たまりで)ばちゃばちゃ。きゃはは楽しい!」
2歳児と同じでいまひとつ自分への影響が限定的でしょうか。雨でできた大きな水たまりでばちゃばちゃやるのを楽しむ習性がある場合も。
小学生「もしかして、警報ってことは学校休み??やったー!!!遊ぶ!!!youtube!やりたい放題だ!」
ついに自我が芽生えた状態で社会システムに組み込まれだしたところですね。そうすると警報の与える影響で真っ先にくるものは学校の休校でしょう。学校が休みとなることは学校の好き嫌いにかかわらず喜ぶ子も多いかもしれません。単純な非日常感に対するわくわくでしょうか。でも休校になっても家にずっといることになりがちですし、最近ですとオンライン課題などで追い立てられる場合もあります。
中高生「あ~今日休校かあ。オンライン授業かなあ。それとも夏休みとか削られるのかなあ。部活やりたかったなあ。」
カリキュラムがびちびちである中高生にとっては、休校はどこかで補填しなければならないことを意味します。近頃ならオンライン授業とかもあり、長期休みを削られるケースもあるでしょう。あとは部活が大好きな子にとっては普通に残念かもしれません。塾についても学校と同様ですね。
大学生「えっ大学生って警報って関係ないの?まじか。でもいいや自主休校しよう。(そしてつけは自分に回ってくる。)今日バイトかあ、でも外でたくないなあ、仮病使ってしまおうか、「あの塾長、今日腹痛で外でれなくて、イタイイタイ」「(馬鹿野郎!何小学生みたいなこといっとんねん!今すぐ来い!と言いたいのを我慢して)大丈夫?何時ならこれそう?代わり急に捕まらないしさ。ごめんね!ありがとう!」「・・・」」
なんてダメ人間みたいな人もいるでしょう。でも日本人のメンタリティ的に比較的アルバイトを急にサボる人は少ないとは思います。大学は急にサボったとしても。大学の強制力がかなり緩めだからですね。でも卒論書き中とか、院生くらいまでいくと警報とか本当に関係なかったと思います。授業ごとに勝手に教授が休講判断することはありますが。
大手の雇われ教室長「本部の決定まだかよ~、どうすんねん、決まってから連絡大変やねん。ぷるるる、ぷるるる。欠席の連絡大量に来てる~。ばたばた。ばたばた。あ~でも間違ってくる人もいるやろうから休講にしても待ってないと。」
いやまあ台風が近づいてきたらできるだけ早く方針決定して欲しいと思っています。方針が決定したらあとは短時間でひたすら連絡するだけですね。お休みの分は補填しますが、個別指導塾の場合は、大学生講師が代わりの日程を組む場合は、そんなに負担なわけでもありません。
個人塾塾長「え~、台風まじくるの、、、やめて。。。振替どこでするねん。。今週土曜も休みやし、。。。あっ、10/10の祝日の月曜で補填できるわ。暴風かあ。大雨やったらどうでもいいねんけど、暴風はななあ。看板飛んできたらまじ危ないしな。。。でも、逸れる可能性あるしなあ。まあええわ。振り替えられるし早めに連絡して完全に休みにしよ。決定。このクラスだけやしな、メールとslackで連絡して、HP載せて終わり~。はい休み!」
自分で方針決定するまでは迷いますが、いろいろなメリットとデメリットをてんびんにかけてえいっと決定したら、連絡してそれで終了ですね。対象範囲もめちゃくちゃ広いわけではないですしね。ただ、休校にしておきながら、風とか雨とかがしょぼかったら、何やねん!とは思ってしまいますね~。
しかし、農家の人とかにとっては、台風などは深刻なダメージになる可能性はありますからね、もっと死活問題でしょうしね。
まあ人によって感じ方は違うということですね。
そういえば、ベネッセで普通にサラリーマンをしてたときも、警報ってまったく関係なかった気がしますね。ただ、なんか何十年かに1度と思われるかもしれない台風のときは早帰りが推奨されていたような気がします。もしくは、東日本大震災の時はさすがに帰れということになってましたね。当たり前ですが。。