自転車に乗れることの早期化と勉強の早期化

松谷です。

自転車に乗れるようになることと、勉強で新しい内容を学ぶことは似ていると言われます。

ハンドルの握り方、ペダルの漕ぎ方、なんとなくのバランスのとり方などの乗り方を学ぶ。

未知のものに多少恐怖を感じながら実際に訓練する。

補助者が後ろから横から支える。

いつの間にか補助者は手を離していて自分で漕げている。新しい境地の開拓に感動。

 

といった流れがよく知らない学問内容を身に着けるのに習得の流れと似ているからですね。

 

年をとってそういうプロセスを一切しなくなると、教わるものの気持ちが分からなくなったりするんですね。だからこそ、いくつになっても何か新しいものを学ぶというはその内容を身に着けるだけでなく、気持ち的にも重要なことだろうと思います。

生徒や子供は日々めっちゃ成長しているけど、自分だけ停滞しているなってなったらしょうもないですしね!

 

さて、最近自転車に乗れる時期が早期化しているような気がしています。

僕が乗れるようになったのは、6,7歳くらいのころで、公園でめちゃくちゃ転びながら必死に丸一、二日くらい練習してできるようになったのを今でもなんとなく覚えています。

 

しかし、子どもを見ていると、3歳とかで全然転ばずにさらっと自転車乗れるようになってたりするんですね。

えっどういうこと?そんなんある?

 

今の若い子の体が発育している?いや昔の子の方がより外で遊んだはずだし、そんなことはないな。

 

と思って、原因を考えると、これに行きつきました。

 

 

それは、「ストライダー」です。

 

 

これは、ペダルなしの自転車みたいなやつで、足を地面についてけりながら乗るタイプのやつです。

 

これをやると、なんとハンドルの操作の仕方や座り方だけでなく、一番肝となるバランスのとり方が自然に学べてしまうわけですね。

 

そうすると、自然に自転車に乗れてしまうわけです。特に苦労もなく。

 

これは文明の発達ともいえるかもしれません。自転車に乗るという何十年もの間人々がやってきた経験の蓄積が共有され、技術的向上につながったわけですね。

でもなんとなくこういうことって勉強にも当てはまるのかもしれません。

つまり、中学や高校の数学を小学生くらいでできたりとか、英検1級とか準1級とかの英語を小学生のうちにとれたりとかそういったことが割と頻繁に起こっているわけですね。

ネット社会で人々の知恵がより共有されやすくなったというのも寄与しているような気もします。

自転車にしても勉強にしてもどちらも本当にそれがいいことなのかどうなのかはわかりませんが、そんな風になっていますね。

 

もうちょっと書きたいことがあった気がしますが、今日はこのへんで!

 

 

 

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